激論・レイプとNTR

僕はレイプが好きだ。勿論現実でレイプするわけにはいかないので、厳密にはレイプというよりレイプものが好きということである。

ここで一つ問題がある。世のレイプ作品の多くがNTR作品でもあるという事だ。

僕はレイプは好きだけれどNTRは嫌いだ。

肥満体でヒゲの汚いオッサンとかチャラチャラした男は気持ち悪いし、惨めな夫や彼氏は見ていられない。

僕はNTRが嫌いであるにも関わらず、レイプをこよなく愛するために、NTRもので抜いて心を痛めなければならないのだ。

射精して脳が落ち着いた時にエロ漫画の内容を思い返す瞬間を想像してみてほしい。女をレイプするだけでは飽き足らず、誠実な男までを不幸にする最悪なチャラ男やキモおっさんに感情移入することで射精をしてしまった自分はまるで悪魔のように見える。最高の快感の直後に、強烈な自己嫌悪に晒されるのだ。



ならばNTRでないレイプもので抜けば良い、と思うかもしれない。しかしながら、そうは問屋が下ろさない。

ここで見逃してはならないのは、NTRものは単に量が多いということではなく、NTRにおけるレイプの質は非常に高いということだ。

これは作品数の多さに起因するトップのレベルの高さなのか、それともNTRのどこかにレイプ感を倍増させる要因があるのかはわからないが、とにかくNTRのレイプの質は高いのだ。



NTRには全てが詰まっている。夢も、希望も、絶望も、破滅も。」
これはさる御方が死の間際に放ったとされる言葉だが、非常に的確と言わざるを得ない。

NTRが人気ジャンルとしての立場を確立しているのも、NTRという一つのシチュエーションに多くの要素を内包しているからなのだ。これは言い換えれば、いろいろなジャンルから人間を吸い上げているということでもある。この僕も、NTRが広げたレイプの網に引っかかった一匹の哀れなサンマでしかない。。



では、レイプを愛する僕が望むNTRとは何なのか。僕が望むのは、NTRでありながら、できるだけ罪悪感を、自己嫌悪を和らげられるものである。

セックスの間だけは乱れるけれども、女性からしたらそれは火遊びでしかなかった、だとか、最後にレイプされた女がギャグ調で復讐するだとか、なんでもいいけれど、女性が心まで墜ちていない描写を入れてほしい。

あと、チャラ男とおっさんの主人公はありえない。